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「続日本100名城」全て登城完了!

弁護士 岡本 浩

  日本城郭協会指定の「続日本100名城」、2018年10月13日より開始した登城が、ついに100番目として残っていた河後森城(愛媛県所在)への登城で2023年9月15日で完了となりました。

 全国で3万余もあると言われる城の中で、日本城郭協会により、平成18年に「日本100名城」が選定されました。日本100名城は、姫路城・大阪城といった全国的にも有名な城がほとんどであり、和歌山県では和歌山城が選定されています。そして、この日本100名城に続き、平成29年に「続日本100名城」が選定されました。これは「日本100名城」ほどに有名な城ではありませんが、歴史上では有名な事件・戦の場であったり、城の遺構がよく残っていたりするものであり、和歌山県では新宮城が選定されています。そして、この選定された城への登城を、各城に備え付けられている日本城郭協会指定スタンプをスタンプ帳に押していくスタンプラリーが設定されています。「日本100名城」・「続日本100名城」共に、各都道府県から必ず一つは選定されるというルールをもって選ばれているため、スタンプラリーに参加しこれを踏破するには、全都道府県をくまなく訪ねる必要があります。

 

     第1回続日本100名城巡りツアーで訪れた多気北畠氏城館(北畠親房の三男を祖とする城)の戦時詰城「霧山城」にて

※登城に40分を要した続日本100名城一番の難関の城

 

続日本100名城の中で100番目の登城となった(個人で訪問)伊予と土佐の国境最前線の城である河後森城の登城口にて

 

 私は、「日本100名城」には過去に訪ねている城も多かったため(但し、スタンプは押印していない)、初訪問が殆どとなる続日本100名城のスタンプラリーに挑戦することを、2018年初秋に決意した次第です。続日本100名城巡りのツアー(開始時は、朝日旅行主催)第1回から始めて、まるまる5年を要し、とうとう100に到達することができました。この間、ツアー参加は26回、都合でツアーに参加できなかった4回分の補充のための個人での訪問旅行が8回と、実に34回の訪問旅行をしたことになります。日帰り旅行・一泊旅行・二泊旅行と訪問先によって旅行の形はいろいろでした。「続日本100名城」は山城が中心のために、登城に脚力・体力を費やしながらも、実に気分の弾む楽しい旅行の連続でした。とりわけ、各城に関する歴史を詳細に知ることができたこと、浜田市(島根県)・鶴岡市(山形県)・宇和島市(愛媛県)等々といった、弁護士としての仕事や一般の観光旅行で訪ねることのないような地方都市を訪ねることができたことは、忘れがたい思い出となりました。

明智光秀の丹波攻めに抵抗した赤井直正の黒井城遠望(ふもとの平地からでも、山城の様子が遠望できる)

 

 この「続日本100名城」巡りは、もう少ししてから、きちんとした記録文章を発表する計画ですが、とりあえず、このコラムに第一報を載せ、100達成の報告をさせていただく次第です。なお、「続日本100名城」の完全登城達成者は、スタンプ帳を送り達成が認められれば日本城郭協会より、何番目の達成者であるかが認証されることになっています。私に返送されてきた認定証では、1,418番となっていました。スタンプラリーを開始した時点では、「1,000番以内に達成しよう」と意気込んでいたのですが、コロナによるツアーの延期・訪問断念が何回か続いたため、これはかないませんでした。それでも、日本全国の城好きの中で、1,500番以内の完全登城者となれたことは、少しは自慢できることかななどと思っています。

 また、「日本100名城」は、スタンプが60余の城につき未了です。この秋以降、今度はゆっくりと当該城の城下町の探訪などもしながら、「日本100名城」巡りを開始しようと思っています。

 

      「続日本100名城」のコラムは、こちらにも掲載しています。