コラム
column
続日本100名城巡り
1 プライベートで私の好きなことは、草花や野菜作りに取り組む園芸・旅行・歴史探訪の3つかと思います。そのいずれも、どれが一番かは甲乙つけがたいものですが、今回は歴史探訪について書いてみました。
2 日本には、城郭又は城跡と言われるものが、3万とも4万ともと言われています。これらの中から、日本城郭協会という公益財団法人が、平成19年に『日本100名城』、平成29年に『続日本100名城』というものを選定し発表しています。
元来、旅行と歴史が趣味の私としては、上記のような選定がされる以前から、機会があれば、各地のお城を訪ねていました。しかしながら、日本100名城が発表され、これを訪ねるスタンプラリーが開始された平成19年には、私の日常が日々の仕事に追われる状況で、お城を訪れ、日本城郭協会公認のスタンプを押印するスタンプラリーに参戦する気持ちのゆとり・時間を持てませんでした。このため、日本100名城を訪れる機会は多々あったのですが、スタンプ集めをすることなく経過していました。
3 平成29年、続日本100名城が発表され、その後に続日本100名城を巡るツアーの募集が開始された平成30年10月、私は1年間にわたり任に当たっていたロータリークラブの地区ガバナーの任期を終え、ほっと一息ついている時でした。
そこで、次の目標として、この続日本100名城を訪問するツアーに加わりスタンプラリーに参戦することを決意しました。日本全国に散在する続日本100名城を巡る朝日旅行のツアーは、毎月1回の開催で全都道府県を網羅し3年近くを要する息の長いプランでした。
以来、このツアーは、2020年3月より8月、及び2021年1月より3月の間のコロナ禍による2度の中断に見舞われましたが、本稿を書いている翌月の2021年4月出発のツアーより再開の予定となっています。
4 日本100名城に指定された城は、誰もが写真を見たり耳にしたことのある城が中心であり、城のタイプとしては平城が多く、整備されている城が中心です。また、多くは建物としての城または復元の城が残っているようなものが多く、城を舞台としての合戦の面から見ると、歴史上の勝者側の城が多くなっています。したがって、交通の便も良く、比較的に楽に訪れることが可能です。日本100名城のスタンプラリーの完遂者は、日本城郭協会より完遂証明と完遂者のうちの何人目であることが認証されることになっており、この稿の時点で3000人程度になっています。
これに対し、続日本100名城は、城のタイプとしては山城が多く、バスや車を降りた出発点から40分~1時間30分近くも山道を歩くようなことが多くなります(写真①・②・③)。このため、登山用の靴・登山用ステッキを持参しての行程となり(写真④)、足腰にはかなりの負担の旅となっています。また、山道に分け入るようなことも多く、一人で行くには困難な城も多く、ツアーの案内人同行で行く必要があります。
また、続日本100名城の城は、どちらかというと、有名な合戦の中での敗者側の城(というより城跡)が多く(写真⑤)、なかなか元の姿を眼で見ることの困難なものが多くなっています。それだけに、歴史上において敗者となった側の資料的探究と滅びた側への思いやり、さらには残されている跡から元の姿を想像する力が求められます。ツアーに出る前に、これらを調査した上で、実際に城や城跡に立つと、往時の状況が眼前に現れるような気分になりますが、これがこのツアーの醍醐味かもしれません。また、こうした城の所在する市や町では、通説的理解では敗けて賊軍とされた将への評価が高く、勝者側によって整理された歴史上の評価と違うものが見えて来て、歴史を見る眼が肥やされる思いがします。
5 続日本100名城巡りは、先述のコロナ禍中断があったため、開始より2年半を過ぎた段階で、100のうちの過半をようやく超えた状況です。私のスタンプ帳では、訪ねた城の50個の公式スタンプが押されています。このスタンプ帳が完全に埋まるまで、あと1年半位を要する予定ですが、足腰を鍛え山道で転倒などしないよう気をつけながら、スタンプ帳の全てが埋まるまで、完遂を目指すつもりです。目標としては、続日本100名城の完遂証明(-完遂者には、日本城郭協会から、〇番目の完遂者としての証明が発行されます-)を受ける者の100番以内を設定しています。そして、この完遂の頃には、勝者を中核とした日本史には登場しない別の視点からの日本史の知識保有者の一人になりたいものと思っています。