コラム
column
邂 逅
今年3月頃の毎日新聞に「日本人が受けた恩」というテーマで、レオ・シロタさんの記事が掲載されました。確か、ウクライナ侵攻が続いている状況下で、ウクライナは日本とは遠いようで、日本にこんなに貢献してくれたウクライナ人(当時は、ソビエト連邦の中の1国であったが)がいたという内容だったと記憶しています。記事自体は、レオ・シロタという有名ピアニストが山田耕作(童謡『赤とんぼ』の作曲家)の依頼を受けて、東京音楽学校の教授に就任し、日本でのクラッシック音楽の発展に寄与したというものでしたが、気になったのは「シロタ」という名前です。日系人であれば「城田」か「代田」などの姓であろうと思われますが、レオ・シロタ氏は日系人ではありません。そうすると、シロタという外国人の名前は非常に特徴的で、私には聞き覚えがありました。まさかと思いながら、調べてみたら、果たして予想した通りでした。
日本国憲法の制定過程に詳しい人であれば、ピンとくると思われますが、日本国憲法24条の婚姻規定を起草した人物が、「シロタ・ベアテ・ゴードン」と言って、当時、GHQの民生局に勤務していた22歳の女性でした。レオ氏はこのベアテさんのお父さんでした。
映画(「ベアテの贈り物」)にもなったので、ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、ベアテさんは1923年10月にウィーンで生まれ、6歳のころにドイツを中心とした反ユダヤ主義を避けるため、家族で半年の演奏旅行のつもりでウラジオストークに行き、そこで父が山田らに招聘されて、家族で東京に渡りました。15歳まで東京で暮らし、進学と共にアメリカに移住して暮らしていましたが、終戦後、日本語、ロシア語、英語を話せる能力を買われ、GHQの民間人要員(リサーチャー)として来日し、そこで、モデル憲法草案作成のメンバーになりました。
残念ながら、ベアテさんが起草した条項案のほとんどは削除されていますが、家族生活における個人の尊厳や両性の平等を定めた憲法24条に大きな影響を与えたと言われています。
このように、遠いと思われるウクライナでも日本になじみのある方が実はたくさんいらっしゃると思います。ウクライナでの戦争は既に半年に及んでおり、毎日、多数の犠牲者が生じています。一日でも早く、戦闘行為が止むことを心から望んでいます。