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歴史探偵

弁護士 岡 正人

「歴史探偵」をご存じでしょうか? 

最近ではNHKの番組の方が有名な気もしますが、これは令和3年1月に亡くなった半藤一利さんが、自らのことを歴史学者ではないとして、名乗っていた呼び名です。半藤さんは「日本で一番長い日」などを書いた執筆家ですが、元々は「文藝春秋」の編集者です。この方は、昭和史について多数の出版物があるのですが、戦前戦後を書いたものも多く、内容的に重いだろうなと、存在は知りつつ長らく敬遠してきました。

ところが、令和3年に亡くなってから、この人の本をふと手に取ってみると、とても読みやすく、15歳で終戦を迎えたという体験を通じて、自らが体験した昭和史をとても平易な言葉で、エッセイ風に取り上げられていました。内容的には歴史上の事柄を扱いますので、重たいです。例えば、日本国憲法制定の経緯やマッカーサーと昭和天皇との面談など、昭和史において欠かせないところが取り上げられています。そもそも「日本で一番長い日」という作品自体が、ポツダム宣言受諾に係る昭和20年8月14日から15日にかけてのことを描いたものですので、重くないはずがありません。

ただ、この人の文章にかかると不思議に読みやすいのです。歴史「学者」ならぬ歴史「探偵」と称する面目躍如でしょうか。

少しだけ引用させていただくと、このような感じです。

「天皇陛下がマッカーサーに「戦争責任は私にある」ということを言った記録が私の手元にあります。そして、回想録(注、マッカーサー回想録)にもあるように、マッカーサーはこの時ひどく驚き、心の底から感動したようです。戦争に敗けたどこの国の元首が、自ら訪ねてきて「自分に責任があるから身の処置は任せる」などと言うだろうかと。確かに、歴史を見れば、たいていが亡命または命乞い、責任はないと強気に出るくらいで、自分からYou may hang me. と言った例などないでしょう。マッカーサーは「この人は」と思った、と回想録にもありますし、自ら何度も語っています。つまり、占領政策のスタートの基本に、天皇に対するマッカーサーの大いなる尊敬が生まれてしまったのです。そして第1回の会談が終わった時、来訪時には出迎えもしなかったにもかかわらず、彼は天皇を車に乗り込むまで見送ったというのです」(昭和史・戦後編「はじめの章」)

 

最近では、考え方を右だとか、左だとか決めつけたい人も多いようですが、人間社会とはそういうものではなく、価値観というのはその時代その時代で異なり、振り子のように振れながら定まっていくものだと感じました。

もう少しで終戦記念日です。「昭和史」(平凡社)(累計100万部のベストセラーだそうです)だけでも相当な分量がありますが、一度、手に取ってみられることをお勧めします。