コラム
column
故郷は沼の底
私が育ったのは、奈良県の大和高田市というところです。母校は、大和高田市立「浮孔西小学校」と同「片塩中学校」といい、これらは、日本書紀に「片塩浮孔宮(かたしおのうきあなのみや)」という宮が出てくるほど由緒ある名前です。また、校区内には「磯野(いその)」という地名があり、こちらも、磯野禅尼(静御前の母)の里として知られています。しかし、私は昔から、なぜ海から遠く、大きな川も湖もない地域に、「浮」「塩」「磯」といった、水に関係しそうな地名があるのか、不思議に思っていました。
ところが最近、司馬遼太郎氏の『街道をゆく』を読んでいるとき、次のような記述を発見しました。
「なぜならば大和盆地は古代にあっては一大湖沼であったからである。古代集落は盆地のまわりの麓や高地に発達したから、いまでも磯野、浮孔、南浦、磯城島といったふうに磯臭い地名が多くのこっており・・・」
つまり、私が知らなかっただけで、このあたりはかつて湖や沼のほとりにできた集落だったようです。念のために大和高田市役所発行の『大和高田市史』を確認すると、ここには次のように書いてありました。
「奈良盆地周辺の丘陵地帯、特に二上山山麓に人々がすみついたのは紀元前二万年頃と考えられており・・・しかし当時の大和高田地域は葛城、高田の両河川の河道が安定せず、今だ低湿地帯で人の住めるような環境ではなかった・・・」
ところで、大和高田市の中心には、通称「竜王宮」と呼ばれる大きな神社があり、夏のお祭りなどで親しまれています。竜という生きものは、雲の上を飛んでいることもありますが、龍宮城や雨乞の儀式など、本来は水の中に生活し、水の神様とされているのではないでしょうか。このことも昔から不思議に思っていたのですが、先ほどの話を前提にすれば、ここに「竜王宮」があってもおかしくはなさそうです。
もうひとつ、大和高田からは少し離れますが、桜井市から天理市にかけて、日本最古の道として知られる「山の辺の道」があります。この道は、三輪山の山裾を縫うハイキングコースなのですが、あるとき、「なぜ昔のひとは、平坦で歩きやすい盆地内ではなく、敢えて山裾の歩きにくいコースに道を作ったのか。」と首をひねる人がいました。これも単純な話で、おそらく盆地内は沼地だったか、少なくともずぶずぶの湿地帯で、山裾よりももっと歩きにくかったのでしょう。
郷里について無知だったことは恥ずかしいかぎりですが、長年の疑問が解けてすっきりしました。地名の由来というのは、考え出すと面白いものですね。